眠気に比例する珈琲消費量。
仕事に忙殺されると私生活に割く時間を捻り出すのも難しく、落ち着いて日記を書く暇がないのは悲劇なんだか喜劇なんだか感想に困る毎日。
いたって健康状態は良好(自分基準)だし、ストレスは溜まっていると言えば溜まっているのだけれど、そんなの仕事を抜きにしたって生活してりゃストレス皆無な生活なんぞありゃしないという淡白な考えを持っているわけで。
兄に昔いわれた「地球で生活している限り重量というストレスに晒されている」という言葉を何かと思い出すせいか、むしろストレスを感じている方がより自然なんじゃないかと思う瞬間もあるのです。
とはいえ精神論や根性で解決できないのが、疲労ってやつですね。
これがとても厄介で、ここのところ眠くて眠くて堪らない。
そもそもこの日記を帰宅途中の電車の中で書いているわけですが、この手を止めたら私は爆睡する自信があります。その点でもマイカー通勤ではなく電車通勤で良かったなぁと思いますね。マイカー通勤だったら今頃、居眠り運転で天国にドライブしちゃってますもん。
しかしまぁこうも眠いと、一時期不眠症に片足を突っ込んでいた時期は何だったんだろうと思います。
よくよく考えるとあの時は不安とか心配とか追い立てられる気持ちが大きく眠れない日々をすごしていましたが、今の環境はそれすら考える時間がないせいか、日々増える仕事を少しでも消化せねばというルーティンで回っているおかげで空き時間は精神に時間を割り当てるよりも疲労回復の優先度が高まっているように思います。
人の心身ってのは不思議。寝る寝れないで悩んでいたのが今では謎。
寒風摩擦と言えばいいのか、これが荒療治ってやつですかねえ。繊細な人には全くもってオススメ出来ません。ははは。
同じ原理で仕事の手を抜く会社を休む→次の日の自分が苦しむ→そんなの無理だ!自分がんばれ超がんばれ何が何でもやれ!→いい子いい子やれば出来るじゃーんのセルフSMですっかり調教済み。ザ・社畜ですわ。
自分が考えるよりもずっと私の神経は図太かったらしい。
ただすこーし不満をこぼすとしたら、睡眠を楽しめる余裕がほんのちょっぴりあると嬉しいかな、と。
まあ明日は久々にのんびり出来る休日なので、ちょっとばかし浮き足立っているのです。
それではよい夢を!
生から性の転換。
ふと引越しを思い立ったのは、世間がW杯で盛り上がっていた頃までさかのぼる。
駅から徒歩9分。
築32年木造アパートの1K。
とても陽当たりがよく、キッチン周りが充実していた点がとても気に入っていましたね。
なにより窓の向こうが墓地だったこともあり、何も遮られない景観はなかなかに好ましかった。
季節の折りに窓の外から香る線香臭さも嫌悪感を感じるどころか懐かしい気持ちになるから、返ってその部屋をより一層好きになった理由かもしれません。
近隣も穏やかな方が住んでおり、朝の出勤時には顔馴染みの祖父母に近い年齢の方が掃除の手を止めて皺をより一層深めて挨拶してくる日常は、心和ませてもらいました。
猫も近所でよくゴロゴロしていて可愛かったなぁ。
そんな中で唯一の不満となっていたのが下の階の騒音問題。
とにかく煩い。そんでもって神経がとてつもなく図太い。
一見、普通のどこにでもいそうな印象の女性。これがなかなかに奔放な性生活を送っており、確実に週2回のペースで性行為を行っているもんだから大変気が滅入っておりました。
木造住宅ってのは音が筒抜けなのは言わずもがな。奔放なセックス実況を聞いて羞恥するほどおぼこい年齢ではないけれど、そのタフな精力と体力には勘弁してくれよと顔を覆う日がたびたび。
平日の真夜中におっぱじめるもんだから、次の日も仕事だってのに寝不足になることが多くて参りました。
その日もW杯で世間が盛り上がる中、下の階の女性は別の意味で盛り上がっていましたね。
ニャンニャンボイスを誤魔化すためでしょうか、いつも以上にボリュームを上げたテレビの音声がとてもよく聞こえましたね。当然、テレビのチャンネルはサッカー中継だったことをお伝えしたい。
おそらく、彼氏の性癖と彼女の趣味なのかしら。行為の始まりはいつだって、やめてだのそんなつもりじゃないもんだの甘ったれた声色と抑止力を全く感じさせない第一声から始まるわけですよ。彼氏の宥めては最終的には強引に持っていく流れはもはやワンパターン過ぎて、よく毎回この流れで飽きないもんだなぁとしみじみ。たまには趣向を変えた方が楽しいと思うんだけど?とか思ったりしなくもない。
そんでもって日本がゴールを目指すのと時を同じく、ラストスパートを目指す安いベットのギシギシ音がリンクしていて、なんだか笑えたのは私もこの騒音生活にだいぶ神経がやられていたのかもしれない。
その時になって、あー引越ししようと決意したのだから、つくづく私ってば腰が重い。
2年以上、聞き飽きた女性の喘ぎ声をBGMに物件検索を始めたのはシュールな光景だったかもしれませんね。
それまで好ましく感じていた環境、住宅を取り巻くあらゆる物が色褪せて思えて、あれが文字通り冷めるって感情なのかしら。
とにかく私には時間がなくてですね、なんせ仕事が忙しいのなんの。
引っ越す気力があれば、その気力を仕事に回しちゃうような社畜なわけですよ。
そんな中で世間はW杯やらで盛り上がっているし、下は盛りのついた雌猫みたいに喧しいし、無気力に部屋で身体をひたすら休める日常が馬鹿馬鹿しく思えて、お前ら馬鹿にするのもいい加減にしろよという謎の怒りに近い衝動で引越しを決めたわけですよ。
干からびたカエルみたいに道路にへばりついている死に体の私によくもまあそんな気力が残っていたもんだと自画自賛してあげたい。
おかげさまで無事に引越しを終えて新居で過ごしているわけですが、今度の部屋はとにかく静かで久々に安眠を甘受しております。
住宅環境ってのは大事ですね。
なんかとっても元気です。
ところで変に律儀な兄が引越し祝いを持ってきてくれたのですが、新しく引越したマンションを見てクスクス笑ったのがとても印象深かった。
「墓場の裏のアパートから次はラブホテル前のマンションですか。生から性の転換ってか?誰うまよ」
なんてこった。
これは座布団1枚あげねば。
ハリボテ。
阿佐ヶ谷では今まさに七夕祭りが催されているのですが、駅では短冊が置いてあって、個人的にはそういうのには手を出さない方なのですが、その場の流れもあり、とりあえず残業時間が減りますよーにとマジックで殴り書き。
こういった呪術的なものは人の目に触れた途端効力が落ちる気がしますが、そこらへんはあまり期待してないので、素直に願望丸出しで書いておきます。
ふと七夕祭りに興じる人々の姿を見て、思ったんだですが、星に願いをって結構奇妙な風習ですよね。
誰が始めたのやら。
個人的考察をしてみると、自分の本来の視線より上へ視線を上げる、その行動自体、周囲を警戒するという意味では無防備かつ致命的な行為のように思えます。
なので、おそらく無防備でも許される安全地帯で始めた行動なのでしょう。そして、天の方向ですから絶対的な存在、上位者を暗示していると思います。ここから導かれる結論としては、絶対的な存在への平伏のメタファーということなのでしょう。
つまり超越した存在に対する謙虚な期待という行動を表すのには最適な行動として、星に願いよという形になったんじゃないでしょうか。
まあもっとも個人的考察なので、きちんと調べればより深くて趣のある風習の成り立ちがあるとは思いますがね。
少なくとも商店街上空に吊るされたハリボテと、それを見上げる人々の姿の中には超越した存在うんぬん要素は皆無ですが、楽しそうに上を見る横顔は夏に相応しい光景でしょう。
ちなみに人混みが苦手な私は商店街のはずれも外れ、薄暗くて涼しい喫茶店に避難しております。
星を見上げることはしないけれど文明の力、エアコン様には夏場は頭が下がりっぱなしですわ。
夏蜜柑ゼリーと自動販売機
暑さには昔から滅法弱いせいか、この季節になると小さな事にもいちいち腹を立ててしまうから、そういうのは大人気ないよ、と時たま諭してくる人がいるのだけれど、だからどうした!と踏ん反り返ってみせるくらいには常時やさぐれているので放っておいて欲しい。
暑さに関して嫌だとか憂鬱だとかを通り越して、もはや憎しみを抱いている私に対してそんな無慈悲な言葉を投げ掛けてくる行為は、もしや暑さに脳がとろけているんじゃないかと相手へ同情の余地を覚える境地が近年の最大到達点かもしれない。
今日は特別、出血大サービスならぬ出汗大サービス。駅前のお祭りの混雑っぷりにはほとほと参りました。
溜息のひとつやふたつ吐きたくなるし、人の熱気に当てられて通常よりじっとり汗ばんで額やら首に張り付く髪の毛は鬱陶しいこの上なかったのをよくよく記憶してます。
3割り増し増し汁ダクでたどり着いた片道10分の駅のホーム。乙女の恥じらいなんぞ脱ぎ捨てて真っ裸で闊歩してやりない心持ちでハンカチを2枚ほど消費したことをここに述べておきます。
適温に保たれた部屋から一歩、足を踏み出した瞬間から私の戦いは始まっているのです。平日も休日も。
地球に腹を立てたところで気温が下がるわけじゃないというのは重々に理解した上で、ハンカチのストックが尽きるか、私の我慢が限界突破して露出狂へジョブチェンジするか、毎日その綱渡りをしているから夏ってやつは本当に憎たらしい。
切々と内情を吐露すると、ただの汗っかきの癇癪だと括られるのが不愉快で、己が異常な汗っかきと自覚した幼き頃からうん十年と丹精込めて煮詰めた結果が遣る瀬無い憎しみとなって私の口を常より下品にさせてしまうのです。
品格を疑われては育ててくれた父母、挙句にはご先祖様に顔向け出来ないので生身の人間や日常において憎いなんて言葉を使ったことは誓って一度もないと言わせて欲しい。
そんなこんなで冷静になるべく電車を待つ途中、これは名案だと嬉々として自動販売機に小銭をぶち込み何を買おうかと顔を上げてみれば、準備中準備中準備中の文字の羅列。
右に左に忙しなく眼球を動かしても準備中で、思わずマジかよ?と私はとてつもなく不機嫌な顔をしていたと思う。すぐそばに立っていたカップルが2、3歩離れたような気がしたのはきっと私の絶望に圧倒されたのかもしれない。あれは申し訳ないことをしたと思う。
最寄駅、駅のホームに設置された自動販売機には毎日と言っていいほど恩恵に預かっている身なれば、準備中もとい売り切れの状況に遭遇したのはここに住んで3年、初めてのこと。私の憤りはただただ深かったのです。
お前は自動販売機じゃなくてただの鉄箱かよ、使えねーやつだな今すぐこの仕事辞めちまえ、無駄に図体はデカイし場所だけ取って何もしないとか許せん、なんてこのご時世では根絶対象にあるパワハラ上司ばりの罵声を脳内で繰り広げてしまったのは仕方ない。だってその時の私はとてつもなーく喉が乾いていたんだもん。
ひとしきり鉄箱、鉄屑等々なじった後に少々の罪悪感と供に小銭を回収するべく手を掛けてみれば、唯一残っている飲み物があることに気がついたのは本当に偶然。
その光景を目にした瞬間、私の目頭にジンとくるものがありましたね。何十種類とある中で売れ残っている。すなわち不人気であると、それはもうでかでかと主張しているわけですよ。
かつて見た光景、ペットショップで飼い主が見つからず、仔犬から成犬になったが故にバックヤードに追いやられてしまった犬の姿と被るではありませんか。
あの時に感じた、可哀想という気持ちをまさか自動販売機を目の前にして思い出すとは、我ながら意味がわからない。それもすべて暑さで思考回路がショートしていたせいだと思いたい。
当然、購入させて頂きましたとも。
ペットボトルを傾けてみたら一向に舌先に何も感じず不思議に思ったら、パッケージには夏蜜柑ゼリーと書かれていて、なんだかしてやられた気分。
飲み物じゃなくてゼリーだったのね、お前ってば…。
10回強く降ってね、なんて呑気に書かれているのに対して20回ほどオマケして振りまくってやりました。
ゼリー食感を消失したなんかよく分からない甘ったるいだけの飲料と化したそれは、まあそこそこ美味しかったと思う。
電車に乗り込んで涼しい車内の中でペットボトルを片手にふりふりしながら、あの時の犬も誰かに飼われて幸せだったらいいのになぁ…なんて思ったりしたり。
とりあえず明日は今日より涼しくなってくれたら私はきっと幸せ。